Web2.0時代でも「あなたの蔵書を示せ、そうすればあなたの人物を当てて見せよう」は成り立つか?

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[俺100]:本捨てれない派という記事で知的生活の方法について

皮肉なことに、私の手元には今この本はありません。
記憶に頼って書きました。

つい昨日、自室から箱に詰めて車で5分くらいの場所にある貯蔵庫に移動したのであった。

と書いたけど、倉庫に行ったけど無いよ!もしや捨てた?!


と、思ったら自室にあったよorz

本の管理が悪いのは捨てるより始末が悪いかも。
明らかに捨てたのなら買いにいったり、あきらめたりする手もあるけど、あるはずのものがないのは探したりする時間考えるとちょっとね。あったからいいけど、見つからなかったらまだ探してたかも。

知的生活の方法ならどこの書店でも古本屋でも図書館でもたいていあるけどね。

で、私はこの知的生活の方法が気になったのでもう一度調べたけど、実際は新刊が毎日沢山出版されて、毎日のように新しい本を買う私の現状では、この「知的生活の方法」をあらためて通読する機会というのはほとんど無いと思う。

でも、なんとなく気になるし、ときどき読み返す「かもしれない」(ここ重要)ので捨てる(処分する)ことができない。

しかし、手元になくても実際は困ることはほとんどない。

今、私の本棚を見るとかなりの部分がこの時々読み返す(かもしれない)というクラスの本が占めている。

稼働状況を振り返ると、1年以上開いていない本が大部分かもしれない。

ふと思ったけど、こんなときに威力を発揮するのがAmazonのなか見!検索であり、googleprintだと思う。

これがあれば、本のタイトルと著者名、何ページくらいにどんな内容が書いてあったか、を記憶しておけば別に本を所有してる必要はない。

(研究者やモノ書きを仕事にしてる人は別かもしれないけど、私は違うので関係ない)

渡辺昇一さんの「知的生活の方法」によると「本は身銭を切って買え」とあるし

あなたの蔵書を示せ、そうすればあなたの人物を当てて見せよう

ともあるけど、

「本は身銭を切って買え」や「本を(一旦は)所有しろ」は今後も残るかもしれないけど、

あなたの蔵書を示せ、そうすればあなたの人物を当てて見せよう

は成り立たなくなるかもしれないなぁと思った。

座右の書5冊冊くらいは同じでも、その下のクラスの本の好みはまったく違うということが良くあるからね。

例えば自己啓発書だと
7つの習慣―成功には原則があった!スティーブン・R. コヴィー
人を動かす 新装版デール カーネギー
自助論―人生の師・人生の友・人生の書サミュエル スマイルズ

あたりまでは、一緒でもその次くらいになると人により傾向が変わってくると思う。

定番では個性が出ないけど、その下くらいから個性が出るね。

じゃ、その次はと聞かれると例えば
ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。
金持ち父さん貧乏父さん
になるかもしれないし、

ジェームズアレンの「原因」と「結果」の法則になるかもしれない。


私は松下幸之助さんか斎藤一人さんかなぁ。商売人の息子ですし。

なので、本棚を見ただけで人柄を判断するのは難しくなっていくんじゃないかなぁ。
私は小説はかなりの部分所有してないしね。そうすると、どんなジャンルの小説を好きか知りようが無い(小説を捨てる人というのはわかる)


ただ、「Amazonのなか見!検索」や「googleprint」にのみ頼ると、全体を知らないで部分を抽出することになって、危険だし、通読しないと意味が無いかもしれないし、一旦買って何度も読み込むという行為はやはり必要だと思う。

なので、再度繰り返しになるけど、
・本を買って一旦所有して繰り返し読むという行為は今後も重要
・しかし、ずっと所有するという行為の意味は薄くなっていく。
と、いうことです。