岩手県岩手郡葛巻町で行われた「森のようちえん」に行ってきた。
くずまき高原牧場の森のようちえんは、様々な自然体験活動を通じて、
子どもが本来持っている感覚や感性を信じ、引き出すことを目的としています。
また、それに関わる全ての人が野外保育の可能性を大切にし共育できる場作りを目指します。
僕の家からは、車で1時間20分くらいとそんなに極端に遠い場所でもないのですが、県外からの参加者は珍しかったらしく、主催側の人に「どういうきっかけでイベントを知りましたか?」など聞かれましたので、せっかくなので僕自身の覚え書きも兼ねて色々メモ。
●どういうきっかけでイベントを知ったか。
妻の実家が岩手県なので、妻の母が岩手日報やテレビニュースなどでイベントの事を知り、電話で教えてくれました。
その後、僕がキーワードを元にネットで検索して、「【岩手の牧場】くずまき高原牧場 - 森のようちえん」のHPを見てメールで申し込んだ。電話でイベントの事を教えて貰ってもHPがなければ「ふーん」で終わっていたかも。Web上に色々情報があったので安心して申し込むことができました。
【関連記事:岩手日報】
・「森のようちえん」受け付け開始 葛巻で年16回開催:岩手日報
・自然が先生、応募1000人超 葛巻・森のようちえん:岩手日報
●イベント当日の様子
(主催側以外の参加者が顔写真で個人が特定されないように、解像度下げたり処理しています)
当日は今にも雪が降り出しそうな曇り空でしたが、「こんな広いところで遊ぶのか!腕が鳴るぜ!」とばかりに子どもたちは到着と同時に大興奮でした。
受付の後は、みんなで会場である森の中に向かいます。どんなところなんでしょう。わくわく。
道ばたには、ふきのとうやいろいろな植物が。
道をすすんでいくとなにか建物が...。これが森のようちえんかな。
ようちえんの中に入ると、先生たちがごあいさつ。普通のようちえんでは女の先生が多いけど、森のようちえんでは男の先生が多いです。頼もしいです。
森の中で、紙芝居がはじまりました。森の中ですから「くまさんがでてきました」とか「きつねさんもきました」とかいう話が非常にリアルで臨場感にあふれています。
振り返ると一面の白樺です。
紙芝居に真剣に聞き入っています。
紙芝居が終わると、こどもたちは森の中に飛び込んでいきます。
その間に、大人たちは鳥の巣箱作り。大人たちも楽しそうです。
基本的に、こどもと親は分離して活動します。そこもきっとポイントなんでしょうね。
午後は、子どもたちが外で遊んでいる間は、大人たちはお勉強タイム。
くりこま高原自然学校の馬渡達也先生からお話しをうかがいました。馬渡先生は八戸市出身ということで「青森県でのこのような取り組み状況は?」と聞かれましたが、残念ながら僕はよくわかりません(知りません)でした。
・くりこま高原自然学校 自然体験活動~エコビレッジ~不登校・引きこもり・ニート支援~震災復興~
馬渡先生から「森のようちえん」の国内外での取り組みについて色々話を聞きました。僕は「森の中でなにかやるのだから「森のようちえん」というイベント名なんだろう」と思っていましたが、お話をうかがうとそう単純なものでもなく、モンテッソーリ教育とかシュタイナー教育のように子どもを育てる方法としてドイツ・デンマークなどで確立しつつある教育法の名前のようです。
参考文献も色々紹介していただきました。
僕は、地方に住んでいて自然には恵まれた環境に住んでいますが、しかし実際に子どもたちを自然のなかで遊ばせる機会というのはそうそうあるわけじゃありません。というのも、都市部に比べると公園などが整備されているわけではないし、農家でもないと田んぼや畑は持っていません。ちょっと入ると原野などはありますが、自衛隊員でもないので入っていけません。こどもを連れているとなおのこと難しい。
車でこどもと二人で山の方に行くこともありますが、二人きりだとさびしいというのもありますね。時折、忘れ去られたような朽ち果てた公園もありますが、結構怖いです。
今回のイベントは、子どもたちの扱いに慣れている先生方が子どもたちを森の中に引き連れて行ってくれて、子どもたちの自主性に任せて遊ばせてくれるので子どもたちも楽しそうでした。
帰りの車では、5分も経たないうちに子どもは眠ってしまったので、きっといっぱい遊んで満足したでしょう。「また、行きたーい」と言ってますし。
一つ難を言えば、iPhoneでtwitterをしようと思ったら、ソフトバンクの電波が入らなかった。「たまにはそういうオフラインの環境もいいね」と思っていたが、帰り際になにげなくドコモの携帯を見たら、バリバリに電波が入っていた。誰に言うわけでもないですが、ソフトバンクの電波状況は改善して欲しいなあ。でも、森の中まで行って、携帯の電波が入るのも善し悪しですけどね。
あと、昼食に出てきた葛巻高原で生産されているパンや牛乳ヨーグルトがおいしかったので、帰りに買い込んできた。パンや牛乳を買うためだけに行ってもいいようなおいしさでした。
また、早速当日の様子がブログで紹介されていました。
・くずまき高原牧場 牧場ブログ | 森のようちえん4月18日
スピーディーでいいですね。
「どういうことをやってるんだろう?」と思ってる方も多いと思うので、こういう風にすぐにブログで活動内容の報告があると、安心感がありますね。
以下、馬渡先生のおすすめの参考文献です。さっそく何冊か発注しました。
「自然の循環」と「自然のなかへ出かけよう」はAmazonでは探せなかった...
センス・オブ・ワンダー (単行本)レイチェル・L. カーソン (著), Rachel L. Carson (原著), 上遠 恵子 (翻訳)
出版社: 新潮社 (1996/07)
化学薬品による環境汚染にいち早く警鐘を鳴らした書として、いまも多くの人々に読み継がれている名著がある。『沈黙の春』だ。その著者レイチェル・カーソンの遺作として、彼女の友人たちによって出版されたのが本書である。本書で描かれているのは、レイチェルが毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森である。その美しい海岸と森を、彼女は彼女の姪の息子である幼いロジャーと探索し、雨を吸い込んだ地衣類の感触を楽しみ、星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませた。その情景とそれら自然にふれたロジャーの反応を、詩情豊かな筆致でつづっている。鳥の渡りや潮の満ち干、春を待つ固いつぼみが持つ美と神秘、そして、自然が繰り返すリフレインが、いかに私たちを癒してくれるのかを、レイチェルは静かにやさしく語りかけている。
そして、レイチェルが最も伝えたかったのは、すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいという願いだった。そのために必要なことは、「わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる」ことだという。本文中に挿入されているメーン州の海辺、森、植物などをとらえた写真も美しい。『沈黙の春』と同様、読者の魂を揺さぶらずにはおかない1冊である。
幼児のための環境教育―スウェーデンからの贈りもの「森のムッレ教室」 (単行本)
岡部 翠 (編集)
出版社: 新評論 (2007/04)
「森のムッレ」に出会ったことがありますか?日本でもできる!環境先進国から来た自然教室。
ドイツの自然・森の幼稚園―就学前教育における正規の幼稚園の代替物 (単行本)
ペーター ヘフナー (著), Peter H¨afner (原著), 佐藤 竺 (翻訳)
出版社: 公人社 (2009/08)
森の幼稚園に通っていた子どもたちは、普通の幼稚園を出た子どもたちと比べて、発育にどのような差が見られるのか―実態調査による分析と検証。
森の幼稚園―シュテルンバルトがくれたすてきなお話 (単行本)
今泉 みね子 (著), アンネッテ マイザー (著), Annette Meiser (原著)
1950年代の中頃、北欧の国デンマークで「森の幼稚園」は誕生しました。「自然の中でのびのびとわが子を遊ばせたい」そう願った一人の母親の活動からそれは始まりました。今ではヨーロッパ中に広がり、ドイツでは150以上の「森の幼稚園」が活動しているといわれています。環境都市在住の著者による自然保育、環境教育の原点の紹介。毎日森の中で、子どもたちは想像力、空想力を育て、様々な発見をし、自然のすばらしさを感じます。「星の森の幼稚園」に通う子どもたちの姿を、美しいドイツの森の四季の移り変わりとともに生き生きと描いた一冊。
さあ森のようちえんへ―小鳥も虫も枯れ枝もみんな友だち (大型本)石亀 泰郎
出版社: ぱるす出版 (1999/06)
木々の香りや小鳥の声に包まれて、木のぼり、穴ほり、水遊び。虫とたわむれ、木の実をひろい、野の花の冠でお姫さま。幼児時代の自然体験や動植物との交わりが、社会生活の基盤をつくるといわれています。幼児保育先進国の知恵に学ぼう。幼児時代の自然体験や動植物との交わりが社会生活の基盤をつくるといわれる。幼児保育先進国の「森の幼稚園」の一年を、豊富な写真とともに紹介する。
あと、Amazonを見てたら、以下の2冊も面白そうだった。
森の工作図鑑〈vol.1〉どんぐり・まつぼっくり (単行本)
森の工作図鑑〈vol.2〉落ち葉 (単行本)
子どもと自然 (岩波新書) (新書)河合 雅雄 (著)
子どもを取り巻く環境から、ますます自然が失われつつある現代、ヒトの子育てもさまざまの新しい問題に直面している。人類学の立場から、サルの社会とも比較しつつ、自力で生きる能力の衰退、家族の変容など現在の状況をふまえて、人間の発達にとって自然の果す役割と、これからの教育はどうあるべきかを考える。