節分の「鬼は外、福は内」と三毒追放

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ディスカヴァートゥエンティワンの干場社長がディスカヴァー社長室blog
ディスカヴァー社長室blog: 再掲 鬼は外の「外」とはどこか? ●干場
ディスカヴァー社長室blog: オフィスで豆まき!  ●田中 + 鬼は外の「外」とはどこか? ●干場
で、2回にわたり

ところで、福は「内」の内って、自分たちの会社だけでいいのか? 
鬼は「外」の外ってどこだろ? 太陽系外ならいいけれど。
自分だけよい、自分の会社だけよい、勝ち組だけよい、正社員だけよい、日本だけよい、先進国だけよい、では、結局、自分もやっていけない。
きれいごとではなく、まさにそうであることを実感する2009年の幕開けだ。
「鬼」はどこへ追放するのか? 異次元か?

と、書いていた。

「これは、なにか怪しい」
と、思い、ググってみた。

そしたら

「福は内」「鬼は外」

仏教では、これを貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三つに縮めて「三毒(さんどく)煩悩(ぼんのう)」と称しています。貪(むさぼ)ることなかれ、執着(しゅうじゃく)することなかれ、怒ることなかれの意味で、人間最大の煩悩です。
 そこで登場するのが鬼、つまり煩悩です。赤鬼、青鬼、黒鬼という、私たちの深層(しんそう)に住んでいる三匹の鬼がいます。怒って真っ赤になったのが赤鬼で、何か心配ごとがあったり、心配して青くなったのが青鬼、無知でお先真っ暗なのが黒鬼です。自分の心の状態ありのままを表わしている姿です。この鬼たちを豆で追い払おうとするのが、節分という追儺(ついな)行事(悪鬼を追い払うために行 なう儀式。鬼やらい。昔は大みそかに行われていた)になったと言われています。

法蔵禅寺HOMEPAGE・今月の法話(1999)

ところで、「鬼」とは一体なにを意味するのでしょうか。角のはえた赤鬼、青鬼でしょうか。実は、鬼は私たち人間の心の中にある「鬼」なのです。それは、「三毒」ということです。
 三毒は、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)と呼ばれます。
 貪とは「むさぼり」、瞋とは「いかり」、痴とは「おろかさ」ということです。根本的な煩悩(ぼんのう)というものです。これらは、どことなく湧いてくる思いのようなものでしょう。しかし、私たちはこの思いに囚われてしまうのです。
 節分の時に叫ばれる「鬼は外」という言葉には、こういう鬼のようなよくない心を追放して、きれいでさわやかな心になり、幸福になろうという願いが込められていると思います。
 そうは言っても、現実にはそれらがなくなることはありえません。お釈迦さんは、欲を否定した苦行はダメと思われて、「中道(ちゅうどう」を説かれました。煩悩を否定されたわけではないのです。湧いてくるような思い(煩悩)に囚われずに、生きよと言われているのです。

などのように、仏教の三毒と赤鬼・青鬼・黒鬼などとの関係を説明してるページが色々見つかった。

三毒と言えば、勝間和代さんの座右の銘としても有名ですが、それを干場社長がブログで書くと、知識をひけらかしてると思われたり、自社の本の宣伝と受け取られかねないので、あえてぼかして書いたのかもしれません。
また、あえて答えを示さず、疑問に思った人が自分で調べることにより、記憶の定着を狙ったのかもしれません。
控えめで知的な女性って、素敵ですね。

今年の節分は終わってしまいましたが、来年の節分には、自分の心の中の鬼を追い出すようにイメージしつつ「鬼は外、福は内」と言ってみようと思いました。


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